もふふがうつを克服した話9~うつの症状を振り返る(前編)~
もふふがうつを克服した話ですが、
うつを克服したっていうけど、実際もふふはどんな状態だったの!?
というのを詳しく書いていませんでした。
そこ重要でしょ。
ほんとにね。
ちょいとここらで、自分の人生を見つめなおして、目を背けてきたうつ時代のわたしを受け入れる準備を始めてみようと思います。
なお、これ以降の内容では、免疫のない方にはショッキングな内容が含まれているかもしれません。
読んでいて気分が悪くなったら、すぐに戻るボタンを押してここから離れてくださいね。
同調して気分が沈みやすい方も注意してください。
そうだ。長くなったので前編と後編に分けました。
今回は前編です。内容は後編に比べて軽めです~。
*はじめに*
まずはじめに。
わたしは病院でうつ病の診断をもらっていません。
精神科や心療内科に通った経験もありません。薬物療法も受けていません。
だから正確には、あのつらかった経験が「うつ」だったのか判断はつきません。
わかりやすさを重視して「うつ」と言っています。
しかしながらうつ状態であったことは間違いありませんし、多数の精神的・身体的症状に苦しんでいたこともまた事実です。
ここでは、わたしがいちばん精神的にも身体的にもつらかったときの状態を書いていきます。
もちろん、それは「うつ病」の症状じゃない!というものもあるかと思いますが、あまり「病名」にこだわらずに読んでくださいね。
抑うつ、無気力
「ねむい、だるい、かえりたい」
わたしのうつはここから始まりました。
高校1年生、16歳のときです。
体力がみじんこ並になかったわたしは、ハードな高校生活に必死にくらいつこうと毎日がんばっていました。自分の体力以上の生活を送ってしまったんです。
その結果、口ぐせが「ねむい、だるい、かえりたい」になりました。
毎日朝から晩までねむくて、身体はだるくて、今すぐ家に帰ってゆっくりしたい。そんな状態になってしまいました。
わたしは入学してすぐ、5月にあった献血に行こうとしたんです。(そのときには16歳でした)
献血前に血圧を計りますよね。それで初めて知ったのですが、そのときわたしは低血圧でした。
上が80下が60くらいです。そりゃあ身体もだるいです。ねむいです。
係のお姉さんもその値にテンパって2回計ることになった。
何回計っても低血圧に変わりはない。
当然献血を受けることはできませんでした。
自分の身体すら機能していないのに他人に血を分ける余力があるわけない!!
何もかもどうでもよくなる
精神的に変わったな、と自覚があるのは高1の秋。
修学旅行で人生初の海外に行き、めいっぱい楽しんで、帰ってきたら、ふと、人生がどうでもよくなりました。
わたし別に生きてる意味ないな、とそのときから思うようになったんです。
ふっとろうそくの灯りが消えたかのように、生きることへの熱意も消えてしまいました。なぜかはわかりません。
勉強、部活、生きること、、。なんのやる気もしなくなってしまったんです。
自律神経失調症
そして、「ねむい、だるい、かえりたい」だけにとどまらず、様々な症状が出始めます。
- 慢性的な疲労感やだるさ
- 便秘や下痢を繰り返す
- 微熱が続く
- 寝てるときに足先が火照って眠れなくなる
- 耳鳴りがする
- 立ちくらみがひどい
- 動悸がする
- 寝ても寝ても寝たりない
- 不安感や疎外感が強くなる
- やる気がでなくなる
うつの始まりは自律神経の乱れだったんだろうと思います。
体力がなくて寝ても回復しない身体。
無理して酷使したことにより自律神経がおかしくなり、心身の不調となって現れます。
学校がこわい
人がいる教室に入れない
誰かが先に教室にいるとこわくて入れなくなりました。
だから登校するときは絶対1番でした。朝7時半より前です。
ちなみに、社会不安障害というやつをググると同じ状態が出ています。
わたし自身「病名」にこだわっていた時期があったので、ググっては「わたしは社会不安障害だ!」「境界性人格障害だ!」などと喚いていたこともあります…。名前をつけても治らないのに…。
授業で指名されるのがこわい
成績が落ち込んでからは授業も苦痛でした。
指名されて「わからないです」と言わなければならない状態にいつも涙目です。
先生方は優しかったので、ヒントをくれるのですが、混乱して頭が真っ白になって答えにたどり着くまでに時間がかかります。
「みんなだったらすぐわかるのに!」「こんな簡単な問題もわからないなんて!」
友達にばかにされてる気がしてこわい
自分で自分の学力低下を受け入れられなかったからでしょうか。
人にもばかにされている気がしてこわくなりました。
きっとそんなことないんでしょう。ふつうに接してくれているのに、「どうせ内心わたしのことばかだと思っているんだ」という思いでつらくなりました。
不登校
学校がこわくて行くのがつらいを繰り返した結果、行けなくなりました。
朝起きて涙が止まらなくて「むりだ」と思うと休んでしまいます。
特に休み明けの月曜日は毎週休むようになってしまいました。
なかなか学校に行けなくなったわたしは、母の車で登下校を余儀なくされます。
「今日は行くよ!」そう言われてふとんから引っ張り出され、泣きながら車に乗りました。運転席には寝不足で疲れきった母の顔。なんせわたしを送るために5時起きの6時出発です。そのまま仕事に行き、帰りもわざわざ学校まで迎えに来てくれ、そのあと家事をして。………つらい。書いてて涙出てきた。
わたしのせいで家族もつらい思いをしていることがつらかった。。。
「つらかったら保健室でも早退でもいいんだからね」と母は言ってくれましたが、途中で教室からいなくなることもこわくてできなかったので、朝さえ乗り越えてしまえばなんとか学校はやり過ごせたんです。
母が引っ張り出してくれたおかげで、出席日ギリギリでしたが卒業できました。母もつらかったんだろうな、、、
睡眠障害
まともに眠れたことはないです。
- 眠りにつくのにふとんに入ってから2時間以上かかる
- 眠れても1時間ごとに目が覚める
- 夢をしょっちゅう見る
- だいたい悪夢
- 朝方になると10分起きに目が覚める
- 起床のアラームが鳴るのを起きて待ってる
- よく金縛りにあう
ぱっと思いつくだけでこんな感じ。
考え事が止まらないのでちっとも眠りにつけません。
朝が来ることに怯えていました。
学校に行かなければいけないと思うとつらくて寝付けません。
怖い夢をみてしょっちゅう目が覚めていました。
金縛りも何度も経験しました。夢の中で身体が動かなくなって息が苦しくて、「たすけて!たすけて!」と叫ぼうとするのに声が出ない。
しばらくもがいくと「あ、これは夢で金縛りか」と気づいて、目が覚めます。
夢で見えている景色は目覚めたときの視界と一致しているので、たぶん寝てる間に目が開いてしまって、そのまま浅い夢を見ていたんでしょうね。
霊的なやつではないです。
後編につづく
前編部分だけでも書き起こしはどっと疲れますな。。
うつ状態だった頃の記憶って、どれもこれも苦しいことばかりで楽しかったこととかなんにも覚えていないんです。
実際どうだったかは今になってはわかりません。わたしの中の「高校生活はつらかった」という認識はもう変わることはないでしょう。
楽しい時間や嬉しい時間もきっとあったはずなのに、なんだか悲しいですね。
後編はこちら。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません